2011年3月5日土曜日

言葉に窮する問題

言葉に窮する、言い淀む、詰まる…などが会話の中で発生することがあります。
そのときの「言えない」理由が、勉強不足や関心の無さなら問題はありません。
なぜならダメージが無いからです。

痛いのは、切実で未分化の状態、また理解が及ばない上の断絶の場合です。
逃げても芸を駆使しても、相手にも自分にも通用しないことがあり、言葉にできていないことは、やはり「言えない」のです。そしてその傷は深い。

しかも!相手に「甘い考え」とか「覚悟がない」とか言われると無条件で腹がたったりします。
こちらは難しい問題で弱っているのだがら、勘弁してくれとも思います。
勉強会とブログ問題集をやっていくなかで「言葉に窮する問題」が何度か登場しました。
個人の切実な問題であるから触れないというのもありですが、「くそ勉強会」にはがんがん掘っていく精神が在ります。この問題提起は意味のあるものになればと思います!

しかし、ここで個人の問題に焦点を当てることはしません。解決には具体的な取り組みが必要でしょう。
ここでは「丈夫」になるためのアイデアを持ち寄って、議論ができたらと思うのです。

今後幾度と無く顔を出すであろう問題に対して、これは「言葉に窮する問題」であると認識し、管理するだけでも楽になるし、対処もしやすいでしょう。また問題の由来を分析し、それを他人にも伝える言語化をすると解決の前進になるはずです。
また「勉強会」というシステムが、難問題に対して何らか寄与できるはずです。私にとって勉強会は、現実と理想の間のプラットフォームのようなイメージです。

「丈夫」になるためのアイデアとして、私の例を出しますと、
言葉に窮するのは、必要がないからだと考えています。
言っても詰まらないことだからこそ、詰まってしまう…

それで実は、私はどもりなんです。
今でこそ少なくなりましたが、幼い頃はそれはもうヒドかった。
どもりって最初の発話ができなくて、同じ音を何度も痙攣のように出してしまう。
いま思い返すと…どもるのは、あまり言う必要のないときなんですね。
無理すると緊張して、どもってしまう。
どもって苦労して話したところで、内容の意味よりも、発話の運動に人の目は行ってしまうのでやるせない。しかし、言いたいことがあるときは、ま、なんとかなるのです。

困ったのは国語の音読などです。学校の授業で、順番に読むのには参りました。
やべーここは発話出来ないわーと先に分かってしまうのです。で巡って、私の順番になってしまう。発話出来ないもんは出来ないのだから、仕方なく、「先生、声が出ません」と申告するのです。
すると先生は不思議な顔になります。
なぜなら「先生、声が出ません」と声を出しているから。
あと、自分の名前とかは発話しにくい。あまり言う必要を感じていないのです。

そこで私のアイデアですが、「言葉に窮するのは、必要がないから」の、
必要を感じていない私の判断は適当かどうか考えてもいいのです。
しかし、必要を感じていないことを、信念を曲げてもいいのか?については
ぐにゃぐにゃに曲げていいと思います。私はなにより皆と共通して喋りたかった。
がらっと変えるくらいじゃないと、言葉に窮する問題は解決しないと思うのです。

まずはこんな始まりから。
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くそ勉強 問題集プロジェクトから

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