2011年8月15日月曜日

不思議を目指す

不思議とは「なんだか・よく・分からない」気持ちに形容できる言葉だと私は思っています。まったく分からないのではなく、半分くらいは分かりそうで、残りは分けないまま置いておくような...そんな気持ちを覚えることは、日常を過ごすうえで、ときどきあるのではないでしょうか。でもまったく“覚えがない”方もいるかもしれません。また“つねに”不思議を感じている方もいるかもしれません。そんな 中で私としては“ときどき”を推奨したいのです。

不思議を覚えないということは「だいたいのことは分かる、分からないこともいつかは分かる」の考えに近いかもしれません。しかし分かることで得られる意味ばかりで身の回りを固めてしまうと本質的に理解できない他人や無意識を抱える自分という「生もの」が扱いづらくなります。逆につねに不思議を感じている方にとって、意味を共 有することが前提となる社会生活はスムーズにいかないでしょう。そ のため私は余地を残した“ときどき”が適当なのではないかと考えます。分かる/分からないだけではなく置いておけるような感じで「なんだか・よく・分からない」を大切にしたいものです。

そしてそんな不思議から得られる「なんだか・よく・分からない」の構造を、絵の中に、活動の中に用いていくことを目指します。置いといた部分にまだ知らない宝箱があるかもしれないからです。秘密の 宝箱を探求することと宝箱そのものをつくりだす運動は気持ちが燃え上がります。

ということで明日から展覧会をします。

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