Slides and Swings から転載。
“あるものでないものをつくる”
そう言ったのは美術家の川俣正さん。私の師匠です。
ある日、ボソッと、師は曰く、です。弟子にとっては大変な問題となりました。
川俣さんは廃材や鉄骨、時に椅子などありふれた素材を組み合わせてつくるインスタレーションで知られているアーティストです。作品と合わせて先の言葉を聞けば「あぁ工事で使う資材を工事現場ではない場所に置いて表現している…その行為を指し示しているのね」と受け取れます。つまり日常的に見慣れている工事用品を置き換えることで見慣れない光景ができる。それは普段と異なる体験ができる。しかし、その説明では、ないものってよく分かりません。
私が突っ込んで考えたいと思う根拠に、その言葉の響きは、良質なアート作品にある質感についての重要な説明を持っているように感じるからです。そいつはどんなかというと…古い古い時間からずっと先まで続く時間に通底するような拡がりを持ち、しかも現在の私の心を助けてくれるようなもんです。そのため工事現場の資材を動かして見方を換える…といった文脈的な説明では満足いきません。よく分からない「ないもの」…そこに秘密が埋まっているように直感します。
ただ、この「ないもの」は言い表しにくい。なにせないので。モデルとして例えるのなら「穴」。穴は「もの」に囲まれて初めて形容できます。周りの壁があって初めて穴ができます。したがって穴自身には実体がない。つまり「あるもの」ができて、そののち出現するのが「ないもの」。
「あるもの」は、川俣さんにとっては工事現場の鉄骨や廃材にあたります。あるものとは作品をつくる上で、元となる素材です。それで多くの美術家に言える注意点として、素材集めに決してホームセンターを使ってはならない、があります! もちろん持論ですが、素材全てをホームセンターで済ませた作家に面白いのをつくれた事例はみたことありませんね。その理由として家一軒くらいはつくれてしまう豊かな商品群は、作家の頭の中のイメージをまんま表せるでしょう。そこに落とし穴があります。頭の中のイメージを表したからといって面白いことは稀でしょう。料理人が頭でっかちになってはならないように、素材と遭遇し、向き合い、活かしてこそ美味しいご飯ができるという基本を忘れてはいけません。もし成立するとしたら、それはホームセンターそのものを主題として作品をつくる場合です。
そういった特徴を持つ「あるもの/素材」から、何故ゆえに「ないもの/穴」をつくりだす必要があるのでしょうか。しかもそれが美術家の務めと思っている節が私にはあります。またまた直感で言えば「ないもの」は穴、起源、ご先祖へつながるトンネルにみえます。これから、このサイトを使って、どしどしとトンネルを掘っていこうと思います。まだ続きます!!
"Le passage des chaises"
Chapelle Saint-Louis de l'Hospital de la Salpêtrière
Festival d'Automne a Paris, France
September 1997
photo: Leo van der Kleij
credit: Tadashi KAWAMATA