「最初の人間が、何か自然の中から、好きな姿を自分で造ろうといった場合の、何て言いますかね、表現、表現、エキスプレッションなんてこと言いますけど、僕らこういうふうにつくったり話したり何かするのはみんなエキスプレッションだけども、今日のようなこの時代は、エキスプレッションは実に複雑に分岐して大変なことになっておりますが、そういうふうなエキスプレッションの元をずっーと尋ねていくと、人間が何もないところから自然の中から、何かをつくり出す。何かの姿をつくり出すという、そういうふうなね、ものがね、感じられるんですよ。それで僕はね大変楽しんですよ。それは非常につよい力で感じられるんです。そういうふうなものを忘れていては、いろんな事が出来ないんです。これが肝心要のものだ。僕は宣長を読んでいて結局書きたいのがそれなんです。宣長がそれを感じていたに違いないということなんですね」 小林秀雄『勾玉について』講演から文字起こし
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